宮城県仙台市:仙台喜多運輸株式会社 | 一般貨物運送事業/2~4tエアサス、パワーゲート車保有、併設 認証整備工場

仙台喜多運輸株式会社

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ご挨拶

当社は、昭和59年7月泉市(現在の泉市)に設立開業しその後、昭和63年、仙台市宮城野区に本社を移転しました。創業当時から公共性の高い新聞輸送を手掛け、仙台市から山形県、福島県へ365日、雨の日も風の日も逓送し続け地域社会に密接した輸送サービスを行ってきました。

私が幼少のころ、父は大型トラックの運転手でした。長距離ドライバーでしたので、家に帰ってくるのは、2日に1度くらいで家では夕食時に荷卸し先の出来事を話してくれました。実家は個人商店を営んでおり中学生の頃は、よく店番に駆り出されました。高校1年、新聞配達のアルバイトをはじめ、ラグビー部で夏の合宿は朝5時に起床、朝練は7時からというタイトな合宿生活を経験しました。大学時代、クラスメイトに新車のプレリュードに乗っている友人がおり、聞くとアルバイトで頭金100万円ためて購入したと。彼は片親でバイト代を家に入れる親孝行もしながら、マイカーを所持していました。私も車購入を目標にバイトをし始めました。当時のバイトのメニューが、朝4時から仙台市の市場でバイト、11時から中華屋の出前、週末はフルタイムで温水プールの監視員でした。それでも稼ぎたくて、親の運送の仕事も手伝い始めました。次第に貯金が増えてくると当初は頭金100万円ためるつもりが、全額バイトで貯めることに目標を変え、毎日バイト中心の生活でした。授業中眠ることは多かったですが、欠かさず学校へ行きました。車好きのKがいつも隣で、「俺の兄貴の86がかっこよくて、あーだの、こーだの」と車の話を毎日聞かされているうちに私も車が次第に好きになり始めていました。彼の軽自動車で夜景のスポットを探しに行った時のことです。すれ違う全ての車の名前と、その車の駆動方式や馬力、トルク、メーカー名なども加えて教えてくれたのでした。他にファーストフードやコンビニのバイトもしましたがあまり長く続きませんでした。バイト、学業とドライブのトライアングルは充実し2年生の時に貯金が200万になったところで、考えに考えてシルビアを購入しました。決定のポイントは86と同じ駆動がFRだからでした。早く自分の車に人を乗せたい気持ちが強く、先輩たちとチームジャンパーを作って奥松島へのナイトツーリングはとても楽しかったなあ。両親を乗せて600SELの試乗会にも出かけました。

親の仕事で初心者向けの単純なルート便があったのでクラスメイトに斡旋したところ、週に何コースか手伝ってもらうことになりました。バイトも親の手伝いに絞り、社員並みに働くこともありました、当時の従業員の方からは社長の息子という目で見られていたと思います、突破尻でしたが仕事の現場では目上の方ばかりだったので教えられることがとても多くてよい勉強になりました。仕事区切りの一服で缶ジュースをおごってもらうなど、楽しく仕事はしていたと思います。その矢先、創業者の父が脳溢血で急逝。大学2年生の在学中でしたので家業を本格的に手伝うか中退するか迷いましたが、卒業証書はもらいなさいと母のアドバイスがあり、また、会社は母が引き継ぐことで一応は落ち着きました。父の葬儀はお寺さんで執り行いました。たくさんのお取引先、関係者の方々にご焼香へおいでいただきました。亡き父と懇意にしていた方なのでしょう。私たちに温かい言葉をかけてくれた方も多くあの時のことは今も大変感謝し忘れられません。卒業してからは会社の仕事を一つひとつ経験しました。一人のプロドライバーの研修生としてなんてカッコイイことはなく、県外の輸送は眠い目をこすりながらの運転で会津若松までトラックを走らせることもありました。スタッドレスがまだなかった時代でしたので冬場は路面が凍結する前に峠越えする必要がありました。深夜現地入りしたら納品時間までの間、仮眠をとります。

このころは常に毎日が眠くてつらかったですが、土日が休みだったのでしっかり休みますが、週末近くなるとまたまた眠気が増してくるのでした。よく続いたなあと自分でも感心するのですが、ものを届けるという仕事は配達先、納品先でのおじさん、おばさんとの会話やふれあいが隣り合わせ、そこに温かみがあり救われていたと思います。蛇足ですが、妻との縁結びは配達先の係長さんとの飲み会でしたので。こう書くとトラックドライバーの仕事はつらそうに思えますが、大丈夫です、当社ではこのようなことはもうありませんので、安心してください。現在、高速道路網が発達したうえまた、コンプライアンスの観点から有料道路使用が大半なので皆さんが集中すべきは法定速度の遵守です。

1998年に主要取引先のT所長と仕事をした時に当社の働きを見て1次請けの格上げをして貰ったことがありました。1次請けと2次請けでは運賃が相当変わるので懸命に働きました。2008年に一本の電話がかかってきました。それ以来の取引先もあります。2ケ月後に仙台に営業拠点を持つので手伝ってもらいたいとのお話でした。東京と仙台で商品トレーニングを実施、現場においては選任スタッフ同行によるOJTを繰返し、立ち上げに間に合わせました。山形と仙台の駅ビルにお店を展開するMさん、知り合ったきっかけは自社の引越しでした。ご自身のお店の新装開店や拡張時には商品や什器、店舗備品等の移設、保管を手伝わせていただいております。妻はこのお店の大ファンの一人です。東日本大震災では各地で多くの行方不明者、被災者が出ましたが、当社では社員やトラック1台も失うこともありませんでした。水道、電気、ガスがストップしているなか、私たちの新聞輸送は活動していました。被災地では印刷不可の為東京や新潟で印刷した新聞を仙台に中継してもらいそこからのデリバリーを行いました。燃料は遊休車両から抜きうつしていましたが、GSの復旧が遅れていたため確実に燃料が底をついてきます。そのころ物流サービス部会、名古屋のAちゃんが燃料タンクを、群馬のHさんがその外しタンクに軽油を満タン詰めて仙台に搬送してくれました。これで息を吹き返した当社は輸送サービス継続で読者へ新聞を届けることができました。物流サービス部会の先輩諸兄、同輩諸兄へのこの御恩は忘れられません。震災の爪痕は深く復興に時間はまだまだかかると思います。震災を契機に物流サービスは私たち日本人のライフラインを下支えしています。物流担当者の要望を適える物流から輸送サービスが途切れない安定物流も重要ではないかと考え始めました。BCP、労働力の減少、新型車両への更新、燃油の高騰など私どもにとって将来の不安はありますが、誰もわからない将来に怯えていても、どうにもならないのです。今は日常の業務を把握して継続発展させていく以外に方法がありません。先行きの心配をするよりは目の前の仕事をしっかり捉えて現在を前進すべきで、その積み重ねが来るべき難題に打ち勝つ原動力となると思うのです。創業当時は数社だった取引先も現在、15社以上のお客様にお支え頂き順調に右肩上がりで増えています。

トラックの環境性能のアップに伴い車両の高額化、排気ガス対策による継続走行距離の制限など私たちトラック事業者にとって保有車両の高品質メンテナンス、万一の事故対応のためのクイックサービスを必要と考え、2013年、本社事務所の敷地を拡張し大型トラック兼用バース2連を備えた認証工場を併設しました。外壁にALCをチョイス、整備作業スペースに清潔感を演出。夏涼しく、冬温かい定温スペースとすることは、四季を通じメカニックの身体に優しく、ひいては作業性の向上を実現できると考えまた、内接する100坪の保管スペースを2フロアに仕分け、万一の浸水時にもお預かりしている商品に影響のない安心設計となっております。

仙台喜多運輸株式会社

代表取締役社長 仙台喜多運輸_佐々哲也

仙台喜多運輸を知る

基本理念

仙台喜多運輸は「サービス企業」として、常に誇りを持ち、顧客満足度を高めます

  • 一.お客様のニーズを先読みしおこたえします
  • 一.仕事に情熱を持ち、自ら考え、無駄をなくし、知恵と工夫で変革します
  • 一.常に改善、常に前進、一人一人が正確、安全、迅速に物を運ぶ強い意志を持ちます
  • 一.私たちは、地域社会に貢献し共に成長するため、最大限努力します
  • 一.企業の成長には利益性が不可欠であることを認識します

安全性優良事業所

安全・安心が見える信頼の「G」マーク
安全性優良事業所

仙台喜多運輸安全認定

当社は2005年1月より「安全性優良事業所」として認定されています。
2017年 安全性優良事業所の更新認定(5回目)

仙台喜多運輸株式会社

■住所
〒983-0035
宮城県仙台市宮城野区日の出町3丁目3番1号
■フリーダイヤル
0120-027-097
■代表電話番号
022-239-2797
■FAX番号
022-239-2025
■営業時間
AM7:00~PM6:00
■地図・交通案内
国道45線「日の出町2丁目交差点」南下 宮城野消防署先左折
最寄り駅:仙石線「小鶴新田駅」

仙台喜多運輸は「サービス企業」として、常に誇りを持ち、顧客満足度を高めます!

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